さよなら自分

終わったことを書いていきます。

行き場のない哀しき勝者達

夕方はだいぶ涼しくなってきた。季節が変わりつつあるので、僕も少し変化を加えてみようと思う。

今日は福男選びでも。

みんな福男

毎年兵庫県の西宮神社で行われる「開門神事福男選び」。これは、早朝の6時から太鼓の合図で本堂を突っ走って1位を目指すレースである。


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ニュースで目にする度「今年もやってるな〜」と見ているが、どこか他人事でない気持ちがフツフツと湧くのも事実。

 

多くのライバルを出し抜いて1位を目指す。

 

感のいい人は気づいたと思うが、これは我々が生まれる前に勝ち取ったレースそのものではないだろうか。

デッドオアアライブ

それは生まれる前の話。我々は狭い空間で外の世界への憧れを抱いて質素に生きていた。外界へ行くチャンスは、定期的に行われる夜のプロレス終了を告げる一瞬(発射)のみ。

しかし、意を決して飛び出した後は同僚と競い合わなければならず、それを制しても望んでいるゴールが待っているとは限らない過酷なレースでもあった。

レースが数回行われ、『今回も優勝者なし!』という知らせを審査員から受ける数が多くなると、当然ながら候補生の中にも疑念が生まれ始める。

「ゴールなんてあるのか?」

「無駄死にじゃないか。。。?」

しかし、辞退しても待っているのは地味な毎日。打破するにはレースに参加するしかない。だからこそ、優勝者が現れなくても、レース開催の度に候補生はこぞって参加を表明する。

こうして何度も開催されたレースに、遂に勝者(お宮入り)が現れる。それが我々。

運良く優勝した我々は、その数カ月後に『オギャー!オギャー!オギャー!』と生まれて今がある。福男選びのニュースを見て少し止まってしまうのはこのためだろう。

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そして思う。

志半ばにして離脱していった同志達、先のレースでお宮入り出来なかった先輩達の分までしっかり生きないといけないということを。

福男選びレースに警鐘

しかし、最近はどうしたことか、以前よりも優勝者が少なくなってきているようだ。

あるレースは誰が1位になってもゴールはティッシュ・・・

あるレースは誰が1位になっても場外行き・・・

あるレースは誰が1位になってもマウス経由のティッシュ・・・

特殊なケースとして1位になってもお宮付近の“ケツ”という審査員特別賞・・・

もしくはレース事態がケツ・・・

レース事態がオプションでマウス・・・

場合によっては『手だったのか〜い!!』なんてレース・・・

ゴールの行く先を失った哀しき勝者達の心情を思うと胸が痛い。そしてイカ臭い。

カピカピになった彼らは、やがて勝者から「イカ臭い」悪者と罵られ、まるで存在すらなかったことになってしまう。ゴミ箱、お手洗い・・・そこが参加者の望んだ場所でないのは誰が見ても明らかだが。。。

だからこそ、警鐘を鳴らしたい。

夜のプロレスはしっかりお願いしますよと。優勝が無理ならせめて審査員特別賞を!と。